Archive:Wikimedia Quarto/2/Ja-2

From Wikimedia Foundation Governance Wiki
Revision as of 19:39, 22 May 2005 by Aphaia (talk | contribs) (from meta(interview on-going))
(diff) ← Older revision | Latest revision (diff) | Newer revision → (diff)

Template:WQ2-header-ja

2

創設者より


ジミー・ウェールズ
ジミー・ウェールズ

2004年はウィキメディアにとって非常にエキサイティングな一年でした。そして2005年はもっとすばらしい年になるでしょう。

三日間にわたってほぼ完全にオフラインになってしまったのが、もう何年も前のことのようです。そのとき私たちにはサーバが三台しかなく、その内の二台がマザーボードとハードディスクの問題でクラッシュしてしまったのでした。しかし、これはほんの一年前の今頃のことに過ぎません。今では私たちは40台のサーバを抱え、さらに増強しようとしています。

以前は、コンピュータ系ニュースサイトのスラッシュドットで取り上げられることによるアクセスの急増に対応しきれなかったことから、取り上げられることが半ば心配の種でした。しかし、この一年で私たちは、スラッシュドットで取り上げられアクセスがそのために増えても、ほとんど気づかないくらいにまでになりました。

しかし今でも私たちの成長は緩んではいません。むしろ加速しているのではないでしょうか。私たちは前代未聞のこと、多くの人々にインターネットの可能性への最初の夢を想起させることを成し遂げてきました。 知識を分け合い、知識を自由に与え合い、世界を良くするためにみんなが必要としているツールを協力して造り出すことです。

2005年が私たちにとってどんな年になるのか、正確なことは誰にもわかりません。ですが、もしこのままの成長ペースが続けば、年末には世界中のウェブサイトのトップ100やトップ50にランクインし、数百台のサーバが必要になるだろうと指摘する開発者もいます。この成長は誰にとってもエキサイティングなことでしょう。しかし私たちにとっては特にエキサイティングなのです。というのは、私たちが本当に信じていることを成し遂げてきた方法は、今まで誰も可能とは思ってこなかった方法、すなわち、多くのボランティアが、ゆるやかで曖昧な無秩序にさえ見えるやり方で共同作業を行うという方法だからです。

私たちはどのようにしてこの成長に対応していくのでしょうか。それは、今まで行ってきたのと同じ方法、つまり注意深く思慮深い話し合いを通じて、私たちはいかなる情報源から得られるよりも良いアイデアを見いだすことになるでしょう。私たちにとって必要なのは、もっとも支援の必要な箇所を明らかにし、必要とされている支援を積極的に探り当てていくことです。

例えば、開発者が費やす時間に対する需要は相当なものになってきており、新たな開発者をリクルートし、定着してもらう必要があります。しかし、新たな執筆者を探し定着してもらうのに比べると、開発者として全力で作業できる状態に達するまでには、たくさんのことを習得しなければならない分、大変なことです。他の例としては、全体としてのウィキペディアが、ある偏りを示すことは周知の事実で、私たちの今のコミュニティのメンバーとは異なる主題に関心を持つ執筆者に、どのようにしてコンタクトをとっていくか考える必要があります。

この成長にどのように対応していくか、特に、私たちにとって必要な手助けを見つけるためにどのように手を伸ばしていくか、今年一年間の決意をみなさんにも持っていただきたいのです。もしアクティブなボランティアの一人一人が出かけていって、私たちのコミュニティに新たなものをもたらしてくれる人を一人ずつ探してきてくれるなら、維持や改善を行いつつ同時に成長する力をよりいっそう得ることができるでしょう。


理事会より
ゴクラクチョウカ(ストレリチア)
ゴクラクチョウカ(ストレリチア)

2004年はジミー・ウェールズが上記でお伝えした理由だけでなく、他の理由でも驚くべき年でした。昨年は、とくに、国際化に向けた進化の年でした。

2004年の特徴は英語以外での言語のプロジェクトの顕著な成長率にあります。この年、英語以外の言語による百科事典の項目の総数は、英語版ウィキペディアの項目の総数を越えました。http://www.wikipedia.org への多言語ポータルの設置は、二年に渡る議論の末、こうした国際化を反映しました。

多くのローカルコミュニティは、いまや強い内的な絆によって結び付けられており、また英語版コミュニティで行われている方法を単にうつしたというより、むしろ自治を行なっています。さらに素晴らしいことには、英語版以外のウィキペディア・コミュニティのいくつかは、他のコミュニティに刺激を与える元となってきました。とりわけ印象深いことは、それぞれのコミュニティで、CD での出版など数多くの独自な試みが行なわれたことです。それらの試みには、プロジェクトの間の協力を強めるものもありました。メリー・クリスマス・プロジェクト、今週の翻訳記事、また最近では国際執筆コンテストなどです。この号では、こうしたプロジェクトを知っていただきたく思いますので、紹介いたします。

昨年は、ウィキペディアンによるミーティングの年でもありました。人と人とが、さまざまな国のさまざまな都市で、とくに、ヨーロッパとアジアで集まりました。いくつかを挙げましょう、パリ、ベルリン、ミュンヘン、ロッテルダム、ロンドン、台北……。こうした活発なコミュニティがあることは、私たちのプロジェクトが地球規模で発展している生きた証拠です。けれども、多様なコミュニティの間のコミュニケーションは、ときに依然として困難をはらみます。このことはウィキペディアンの話す言語が多様であることを考えれば、驚くことではありません。

Quarto のような発行物は、一年前なら、1つの言語か、せいぜいが2言語で出されていたことでしょう。ところが現在では、多くの言語への翻訳がなされています。昨年一年間には、各コミュニティの相互交流が増えるよう、すべてのコミュニティに開かれている「メタウィキメディア」 http://meta.wikimedia.org において、メタと他のサイトの重要なページを翻訳するための、そしてすべてのプロジェクトからの意見を考慮に入れるための多くの努力がなされました。

私たちのプロジェクトの国際的な側面は、運営の分野と法的な分野にもはっきりと現れています。私たちは、すべてのプロジェクトの成長と発展を支援するために財団を設立し、ウィキペディアンを代表する2名の理事を選出する選挙を行いました。二人とも女性で、私は繰り返していうことをいとわないのですが、こうしたことは管理運営という部門ではまれなことです。この年はまた、ドイツとフランスに地方支部が誕生し、また他の国でも法人設立の準備がなされました。

ほんの3年前に、私は http://www.wikipedia.com にあった小さな英語のプロジェクトに参加したのですが、このプロジェクトは聞いたことのないアメリカの起業家がオーナーでした。これはすばらしいプロジェクトでしたが、単一の言語を対象とするものであるために、その言語を普段は話さない私には、やや不満の残るものでもありました。今日、私たちは複雑な世界規模の多言語プロジェクトにまで進化しており、その運営は非営利団体が行っています。

2005年の私の希望の一つは、必要ならば外部とのコラボレーションによって、小さいウィキペディア(たとえばアラビア語)にその言語の参加者を増やすことに成功することです。もう一つは、技術インフラが弱く、インターネットアクセスをもたない国々の潜在的な読者に対して、私たちが現実に参照可能な情報源になることです。あらゆる文化圏に属する編集者が参加することは、中立で均衡の取れた視点という私たちの目的に到達するために重要なのです。

これを読んでいる私たちは、情報へのアクセス手段に不足していません。むしろ、テレビ、ラジオ、新聞、インターネットから供給される過剰な情報に私たちは飲み込まれかかっています……むしろ私たちにとって問題なのは、情報を選別するということ、信頼する情報を手にするということです。しかし、人類の大多数はこうした情報源へのアクセスを欠いています。そしてこうした状況の改善のために助けを必要としています。情報へのアクセスをもつものと、もたないものとの間の差が広がることを、私たちは防がなければいけないのです。

アンテール
アンテール

最後に、私たちすべてにとって、あらゆる国の男女を参加者としてもつこと、私たちの同質性と差異のバランスを保つこと、この差異に寛容になり、差異に感謝しつつ歩むようにつとめることは、望外の機会なのです。多くの国では、特定のグループの人々を黙らせておくため、このような差異は手榴弾の爆発によって統制されています。私たちには合意を見つける以外の選択肢はありません。私たちにあるのは言葉だけですが、言葉こそ用いられなければならないものなのです。

--Anthere / Florence Devouard


ご質問やご意見をお待ちしています。私たちの会話ページ([1])や、board (at) wikimedia.org までお寄せください。



3

四半期報告

ペルシアの天体観測儀

 

管理運営
ウィキメディア財団についての情報はどこで知ることができますか

財団についての現在の情報は、この季刊のニュースレター、専用メーリングリスト([2])、ウィキメディア・メタウィキ([3])、財団ウェブサイト([4])で知ることが出来ます。財団ウェブサイトはこの初秋に立ち上げられました。基礎となる最も主要なページが準備され、そのほとんどは10ヶ国語に翻訳されました。現在、さまざまな言語を母語とする38人の編集者が財団ウェブサイトに登録されています。とはいえ、財団ウェブサイトは現在のところ、どちらかといえばまだ準備段階にあります。

理事はどうやって相互の連絡を取っていますか
ドミノ
ドミノ

理事会の活動はウィキメディア・メタウィキ[5]とウィキメディア財団ウェブサイト[6]に記録されています。連絡は電子メールと foundation-l メーリングリストの両方で取られます。メーリングリストへの参加は開かれており、アーカイブが公開されています。また理事は freenode の #wikimedia IRC チャンネルによく接続しています[7]

代表メールアドレス board (at) wikimedia.org はあらゆる問い合わせを受付けます。ただし、このアドレスはもはや完全に理事専用のものではないことにご留意ください。すべてのメールはチケットシステム OTRS [8] に集められ、理事の他にごく少数の信頼できる編集者によっても返事が返されます。OTRS ではドイツ地方の問い合わせアドレスや、英語およびドイツ語での問い合わせ用メーリングリストも管理されています。

ジミー・ウェールズ、アンジェラ・ビーズリー、アンテールことフロランス・ドゥヴォアールの三名は、ともにブログの開設という果敢な挑戦に乗り出しました。アンジェラのブログ、ウィキサーチは[9](英語)ウィキペディアに関する内容がもっとも豊富です。最近注目すべきウィキペディアでの事柄や、ウィキサーチに関連することについて情報をお求めであれば、ぜひご覧ください。ジミーは[10](英語)フリーソフトについて語る場としてブログを利用しています。アンテールは[11](フランス語)自分の意見を自由に述べる場所として自分のブログを用いることに決め、フランス語圏でウィキメディア・プロジェクトの活動がより存在感を増すようにすることを目指しています。特に、フランス語が広く使われるアフリカ地域に情報を届くことを期待しての活動です。

理事会の活動はどこかで記録・公開されていますか

この秋、何度かの理事会が開かれました。

また、ごく少ない機会とはいえ、実際に顔を合わせて理事会を開くことができました。11月にはロッテルダムで、ウィキペディアンのミーティングの翌日、またニューヨークで OSI 会議の前に理事会を開催しています。これらの機会には、今後のミーティングの予定、ウィキメディア財団が政治的な論争に関与すべきかどうか、財団本体の活動に支部が積極的に関わるようにするにはどうしたらよいのか、理事会が今後どうなっていくだろうかについてのフリー・ディスカッションなどを含めて、いくつかの話題が取り上げられました。こうした話題はすべて、irc やメールでよりも、現実の世界にあるユースホステルのラウンジでのほうが楽に議論することができました。

理事たちの活動

この四半期の間、マイケル・デイヴィスとティム・シェルはそれほど活動的ではありませんでした。とはいえマイケルは、前回の寄付募集期間の後、財政面の事項について支援してくれました。

過去数ヶ月間、アンジェラ、ジミー、アンテールは非常に忙しい日々を過ごしました。ウィキペディアンのミーティングがたくさんあり(ミーティング・レポートをご覧下さい)、理事は全員が新聞・ウェブサイト・ラジオのインタビューに応じました。ウィキペディアはいまや有名になり、私たちのプロジェクトはますます関心を集めています。

ジミーとアンジェラは BBC で2週間を過ごしました(この件については「おわりに」にある報告をご覧ください)。一方アンテールは、たくさんの部屋と素敵な庭のある新しい家への引越しをしましたが、数週間の間、電話もインターネットへの接続もない生活を余儀なくされました。アンテールの仕事場からのインターネット環境からと、ときたまは地元大学の計算機研究室のおかげで、アンテールは連絡を維持し活動することができましたが、「ウィキホリック」の欲求を本当の意味で満足させるほどの活動は、ウィキペディア上でできませんでしたし、irc にも接続できませんでした。

余儀なく強いられたウィキペディアからの休暇中、Ryo と notafish が郵便を送り、アンテールを支え、またいろいろなウィキペディアの使用法を示唆してくれました([12])。ここにアンテールからの感謝の意を表します。

財団の会員になるには

会員制度について([13])いくつかの決定がなされました。考察と寄稿者との議論との後、理事会が会員制度にもっていたイメージは変化しました。

プロジェクトを支える収入のほとんどは、当初、会員からの会費収入によるものと想定されていました。このために当初案では、若干高めの会費が設定されました(約100ドル)。しかし複数の理事と多くの寄稿者が、こうした高額の会費を歓迎しませんでした。また、財団の収入のほとんどは他の財源から確保できることが明らかになりました。さらなる議論により、会費を 36ドル(編集をしない会員の場合)と 12ドル(編集をする会員対象の割引額)に設定することに決まりました。

加えて、ジェームズ・デイとケイトとの議論により、ボランティア会員の資格は、自動的に得られるものから、申請を経て得られるものに変更されました。会員システムの開発は、これからの数ヶ月間に完了する予定です。

開発者は現在金銭的報酬を受けていますか

2004年7月、ウィキメディアの開発者は開発作業への報酬システムの実現可能性について投票を行いました。理事会はこの結果を受け、特定の作業をすることを選んだ開発者に対して金銭的またはそれ以外の報酬を与える制度を試行することとしました。報酬制度の実現と評価に先立つ、4ヶ月の試行期間が提案されました。

過去3ヶ月間に、理事会は会員制度開発に関連した作業をひとつ提案しました(財団自体の主要な関心事であるため、議論を呼ぶとはまず考えられないような作業です)、提案から2ヵ月を過ぎて、ティム・スターリングが引き受けることを申し出、11月の終わりにティムからの提案が了承されました。この機能は、一定の報酬と引き換えに2004年の終わりか2005年のはじめには開発されるはずです。

理事会からは他の提案はなされませんでした。ある開発者から提案がひとつありましたが、これは否決されました。

このことは、私たちの開発者チームにとって、作業ベースの報酬はさほど強い動機付けにならないだろうことを示唆します。報酬制度試行の詳細はこちらから読めます[14]。この試行期間の終了後、各ウィキメディアプロジェクトの寄稿者は、ぜひ評価をお寄せください。

この話題については、2ページの「創設者からの手紙」もご覧ください。

ドメイン名の問題はどうなっていますか

ジェイソンが現在財団の保有する全ドメイン名のリストを作ってくれました([15])。いくつかの他の国別ドメインは財団外の人々に保有されてます。たとえば GerardM はいくつかの nl ドメインの名前を維持しています。フランスの国別ドメイン www.wikipedia.fr はこの秋、財団と関係のないドメイン占有屋に取得されました。フランスのウィキペディアンは現在のところこの問題に対しては何もしないことにし、取得した側も礼儀正しくこのドメインをフランス語版ウィキペディアへのリダイレクトとしました。しかしロシアのドメイン名 www.wikipedia.ru は、残念なことに、ドメイン占有屋に収入をもたらすために使われています。

次の四半期には、どのドメインを取得するかについての決定がなされるでしょう。投稿者の多くは自分の国でプロジェクト名のドメイン名がすべて購入されることを望むでしょうが、それだけの多数のドメイン名を購入することによる費用は、維持するには高くつき過ぎるでしょう。この問題の解決に商標登録が役立つことを期待しています。

ウィキメディアプロジェクトでの個人情報

何人かの寄稿者から要求されていて、長いこと懸案となっていた個人情報についての規程が、現在書き進められており、またほぼ確実に2005年第1四半期には完成し、翻訳される予定です。どうぞためらわずにご意見をこちらに[16]お寄せください。

地域支部

アンテールはフランス支部、ウィキメディア・フランスの創設に参加しました(4ページの報告をご覧ください)。そして現在はフランス支部の理事会の一員です。現在二つの支部がありますが、その法的な構成は非常に異なっており、このことは支部のとりうる選択肢の多様さを際立たせています。フランス支部はウィキメディア財団のフランスにおける法的な代表です。フランスとドイツの両支部は、言語よりむしろ国を単位とする支部であることで共通しています。しかしながら、両支部とも国境を越えて活動を拡大することを望んでいます。

過去数ヶ月に、いくつかの他のプロジェクトが支部の設立について議論しました。もっとも注目すべきものはオランダとイタリアのウィキペディアでの動きです。幾人かの投稿者は国よりも言語に基礎をおく支部の創設に関心があり、さらにはヨーロッパ支部の設立さえ話題に上っています。

ウィキメディア財団と政治的活動

この秋を通じて、財団とその支部であるウィキメディア・フランスの政治参加について議論がありました。理事会としては、ウィキメディア財団が政治的活動を支援することを一般的には望んでいないことを示したいと思います。特に、私たちの活動と関係がない活動を支援することは望んでいません。政治参加は、請願への署名などのいかなる活動であれ、十分に注意深く事前調査されるべきですし、またコミュニティの幅広い支持がある場合にのみ行なわれるべきです。

理事会の将来

この秋を通じ、理事会では、支部の理事会にもっと財団が行っている活動に関わってもらうことと、ウィキメディア財団理事会そのものの未来が議論されてきました。支部に関していえば、理事会は支部会員によるどんな議論や提案に対しても開かれています。どうかこの件についての反応をおよせください。

理事会そのものについては、アンテール、アンジェラ、ジミーは現在の状況はほとんど継続しがたいことで合意しています。理事会の活動は本質的にこの三名によって支えられており、活動のために他のウィキペディアンが緊密に関わることを必要としています。このことは理事会の規模が拡大されること、少なくとも実際に仕事をする理事の人数を増やすことを示唆しています。  


ベルリンでの発表
ベルリンでの発表


コラボレーション

アンジェラとジミー・ウェールズ、BBC を訪問

2004年11月、アンジェラとジミーはロンドンの BBC で2週間共同作業をしました。誰もが素晴らしい時を過ごし、この訪問は実に好評を博したようです。まだ決まった日取りではありませんが、二人は将来再び来るようにと招待されています。何人かの BBC のスタッフは、この間に開催されたロンドンでのオフラインミーティングに出席しました。アンジェラはこのときの体験談をニュースレターに寄せています(8ページの「おわりに」をご覧下さい)。

ロスト・オアシスによるホスティング

ウィキメディアはフランスのウェブホスティング会社ロスト・オアシスからの無料ホスティングという素晴らしい申し出を受け、3台の新しい squid が最近設定されました。

他にも無料ホスティングの申し出がありました。特筆すべきは、昨年8月、1つめの巨大ハリケーンがフロリダにきて緊急時ホスティング計画を立てていたときに申し出をいただいたことです。

マンドレイクソフト DVD

非常に残念なことですが、マンドレイクソフト(現マンドリーヴァ)からリリースされる予定だったフランス語版と英語版の2言語によるウィキペディアのスナップショットの公開は、延期されました。これはマンドレイク・リナックスの次のバージョンとともにリリースされる予定でした。

画像の出典を調査しリストアップする作業は、以前からの懸案事項でした。 このスナップショット公開の準備として、出典調査が精力的に行われ、ウィキペディア・プロジェクトに質の改善をもたらしています。どうかこの作業にご協力ください[17]。  

コミュニティ

ベルリンでのウィキペディア・コミュニティ
ベルリンでのウィキペディア・コミュニティ
秋に行われたウィキペディア・オフラインミーティング
  • 東京ミーティング、11月8日、名古屋ミーティング、11月10日。7ページの国際欄をご覧下さい。
  • ベルリン・ミーティング、11月 (詳細)
  • ロッテルダム・ミーティング、11月。レポートと写真
  • ボルツァーノ・ミーティング、11月27日(イタリア語版とドイツ語版の共同開催)。国際欄をご覧下さい。
  • ロンドン・ミーティング、11月。
  • ニューヨーク・ミーティング、12月12日。レポートと写真
  • 台北ミーティング、12月4日。国際欄をご覧下さい。
  • 北京ミーティング([18])
  • ベルリン・ミーティング、12月([19])、国際欄をご覧下さい。

ウィキマニア2005: 第1回ウィキメディア国際カンファレンス([20])は、ウィキメディア・プロジェクトのすべての利用者のために計画中のカンファレンスです(2005年8月4日から8月8日)。ウィキマニア2005についての詳細は国際欄をご覧下さい。  

財務・会計

モノポリー
モノポリー

財務主任はダニエル・マイヤーです。マイケル・デイヴィスの監督のもとに、財務について責任をもちます。特に、予算の策定[21]と計算書類の管理[22]を担当します。

寄付と寄付募集期間

9月に行なわれた2週間の寄付募集期間には、6万米ドルが集まりました。目標額の5万ドルをわずかですが上回っています。このときの寄付のほぼ10%はドイツ支部に直接寄せられたものでした。この秋を通じてこの資金がプロジェクトを支えました。

1月から8月までの寄付は平均で一日あたり200米ドルでした。

ネットワーク帯域と計算機設備への支出の現在の率からみて、これはサイトの活動と成長を支えるには4ヶ月分にしか足りません。次の寄付募集期間は2005年2月に予定されています。これに先立ち、長期的にプロジェクトの成長を支えるための他の手段について議論する公開の会議が、2005年の1月末に予定されています。

第4四半期の承認済み予算はここで見ることができます[23]。これは潤沢な予算で、好意ある幾つかの寄付のおかげで、この四半期の総支出は5万ドルをわずかに超える額に達しました。

前回9月の寄付募集期間からの寄付の詳細な内訳を含む、次の公式な予算の報告は、1月に公開されます。  

助成

助成金
助成金

今秋、ベック財団がウィキジュニア・プロジェクトの支援に興味があると持ちかけてきたことにより、やや思いがけない助成金を得ることができました。ベック財団は、ウィキメディアに10,000米ドルの助成を行い、いくつかの特定の主題について子供向けの短い百科事典スタイルの本に収録するコンテンツを作成したいという意向を示しました。現在、地理、動物および天文学について48ページの印刷された本に載せる内容を作成する計画が進んでいます。詳しくはウィキジュニアと関連するウィキブックスプロジェクト、またこのニュースレターの「プロジェクトから」欄の報告をご覧ください。

2005年1月に、私たちは、ラウンズベリー財団より40,000ドルの助成を受けました。この助成金には、以下のことを目的に約48,000ドルの申請を行っていました。 1) 日々の運営費 2) まだ新しい Wikispecies プロジェクトを軌道に乗せること 3) 先発のプロジェクトの継続的な改善。

助成いただいた両財団に深く感謝します。

12月にニューヨークで行われたオープン・ソサエティ協会・情報プロジェクトとの会談も重要なものでした。オープン・ソサエティ協会の年次理事会に、ウィキメディア財団理事も招待を受けて参加しました。オープン・ソサエティ協会は、ウィキペディアの主要な言語への拡張と、発展途上国への拡大に対する支援について関心を示しました。詳しいことは何も決まりませんでしたが、アラビア語のコンテンツをより発展させたり、アフリカ諸国からの参加者の幅と人数を増加させるために、特別な取り組みを行うという考えが、特に好評だったようです。  

技術・開発

技術開発
技術開発

このレポートの大部分はJames Dayが、パリの Squid サーバの部分はDavid Monniauxが執筆しました。私たちのサーバに関する情報は『ウィキメディアのサーバ』ページでいつでもご覧いただけます。 開発者の活動は2つの主な分野に分けられます: サーバメンテナンスとMediaWikiソフトウェアの開発です。MediaWikiソフトウェアは、ウィキメディアプロジェクト外でも広く使われています。開発者の一覧は、全員ではないものの、『開発チーム』ページでご覧いただけます。開発者たちの貢献に感謝の意を表すには、お礼の書き込みや財政的な支援によって表すことができるでしょう。今までのところ、開発者はみな無償で働いてきました。しかし、この状況は将来、私たちの驚くべき成長を支えるために変化するかもしれません。

フランスへの Squid キャッシュの設置

パリ郊外のクラスタ
私たちのサーバは中央の3台です:
(上から順に bleuenn, chloe, ennael)

2004年12月18日、寄贈された3台のサーバがフランス・パリ郊外のオーベルヴィリエにあるコロケーションセンターに設置されました。この3台は寄贈者の希望によりそれぞれ bleuenn, chole, ennael と名付けられました。これらのマシンを技術者向けに説明しておくと、HP sa1100 1U サーバで、600MHzの Celeron プロセッサ、640メガバイトのRAM、20ギガバイトのATAハードディスクを装備しています。

これらのマシンでは Squid キャッシュサーバが稼働することになっています。これは、遅延を減少させるために利用者のもっと近くにウェブキャッシュを設置するテストケースとなるでしょう。通常、 DSL インターネット接続を利用するフランスのユーザは、これらのマシンに30ミリ秒の遅延で接続することができます。一方、フロリダにある我々のメインウィキメディアクラスタへは140ミリ秒かかります。この計画ではヨーロッパ地域の利用者がフランスの Squid キャッシュを使うことにより、匿名ユーザのためのページデータと全ユーザのためのマルチメディアデータに対する遅延を1/10秒減らします。ログインユーザにとってはそれほどの改善にはならないでしょう。ログインユーザごとにページが生成しなおされるため、ユーザ間でキャッシュが働かないからです。ページが Squid キャッシュにないか、あるいはログインユーザ用である場合、Apache ウェブサーバではページ生成に0.2から0.6秒、もしくはそれ以上の処理時間に加え、データベースでの処理時間を要します。データベース時間は単純なページでおよそ0.05秒ですが、カテゴリでは何秒もかかり、大きなウォッチリストになると100秒かかることもあります。

Telecityデータセンター
Telecityデータセンター

Squid によるキャッシュは2005年1月初めに稼動を開始し、幾度かの試行期間を経て、1月31日現在、マルチメディアコンテンツ並びに英語版及びフランス語版の内容をベルギー、フランス、ルクセンブルク、スイス、及びイギリス向けにキャッシュしています。システムはまだ試行中であり、調整による効率の向上が期待されています。他の国においても同様のキャッシュ・クラスタを設置することが検討されています。

フロリダのサーバ増強

2004年10月中旬に Opteron を2基と4GBの RAM を搭載し、6台のディスクを RAID0 構成としたサーバをデータベースのスレーブサーバ用としてもう2台と、3GHzの CPU と1GBの RAM を搭載したサーバを Apache用として5台発注しました。メーカー側の不手際で出荷時に解消されなかった互換性の問題から遅れが生じ、データベースの処理能力不足が続きました。このため12月初めまで検索機能を何度か停止せざるをえませんでした。

11月には、5台のウェブサーバが故障しました。そのうちの4台は RAM の性能が高く、 Squid 及び Memcached のキャッシュサーバとして使用されていたサーバでした。その結果、しばしばレスポンスが非常に悪化しました。

12月初めには、3GHzの CPU と3GBの RAM を搭載したサーバを5台発注しました。このうち4台は前月故障した Squid 及び Memcached 用のサーバの修理が終わるまでの間、元よりも高性能な代替機として投入されました。RAID0のSATAドライブを搭載した一台のマシンが、このような低コストのデータベースサーバがどの程度の負荷に耐えられるかをみる試験機として使用されます。また、このマシンでは、バックアップ専用のデータベーススレーブと同時に Apache も動かすという選択肢が提供できるかを確認する予定です。これらのサーバには、60ドルの追加コストで、リモートから電源及びサーバの状態監視用の拡張ボードをオプションで追加しています。今回の発注時にオプションを付けたことにより、遠隔操作できる電源タップ付きサーバ監視用ボードの効果を、より限定的な監視ツールと比較することができます。リモートから電源及びサーバ状態を監視できるようになることで、コストや遅れにつながるセンタ作業を減らすことができます。

2004年の第4四半期の終わりか2005年の第1四半期の初めに、データベースのマスター・サーバ1台と Apache サーバ5台の発注を計画しています。これによって、データベースのサーバをマスター1台・スレーブ2台という構成で2組に分けて、処理を半々に分けるようにします。資金は前回の寄付のお願い期間にいただいた寄付の残り5万米ドルを充てます。データベースサーバの分割により、分割したそれぞれでのディスクへの書き込み量は半減し、ユーザからのリクエストに対処するのに必要なディスク読み取り処理に余裕ができます。データベースの分割は、新規に購入したマスター用サーバをデータベースのスレーブとして試験的に運用して信頼性の確認を行ったのち、3ヶ月後に実施する予定です。

通信量の増加と帯域の増強

通信量が増加し、2004年の第3四半期の初めに450リクエスト毎秒だった通信量は、第3四半期末には800リクエスト毎秒に達しました。第4四半期の初めにはさらに増加して、日次のピーク時には1000リクエスト毎秒を超えました。その後、その数値は毎秒900で安定し、徐々に増えています。平均使用帯域は第4四半期の初めには平均約32Mbpsでしたが、第4四半期末には約43Mbpsに増加しました。標準的な一日での最高値は70Mbpsであり、単一のイーサネット接続の帯域の限界である100Mbpsに短時間ながら達することが何度もありました。この通信量を処理するため、二重の100Mbps接続が暫定的に使用され、そしてギガビット光ファイバー接続がフロリダのコロケーションセンタに配備され、必要な部品であるSFP光トランシーバが発注されました。  

プロジェクト

熱気球
熱気球

活動中のウィキメディア・プロジェクトは9つです。

メモリアル・ウィキは現在 911祈念ウィキの200ページのみからなっており、財団の正規のプロジェクトではありません。

新プロジェクトについての方針

新しいプロジェクトが増えてきており、またウィキスピーシーズの新設をめぐって論争があったため、新しくプロジェクトをはじめる際の手順が新プロジェクトに関する方針としてまとめられました。ウィキニュースはこの手順に従ってはじまった最初のプロジェクトです。新方針では、新プロジェクトの詳細な説明(と幾つかの言語への翻訳)、投票によるコミュニティからの賛成、財団理事会による最終的な承認が必要とされます。  

広報

ロッテルダムでインタビューを受けているジミー・ウェールズ
ロッテルダムでインタビューを受けているジミー・ウェールズ

この秋にはいくつかのビッグニュースがありました。たとえば、10以上の言語で配布され、世界中で取り上げられた、100万項目達成のプレスリリース、ドイツで広く報道されたディレクトメディアのドイツ語版ウィキペディア CDに関するプレスリリース、いくつもの言語でいくつもの報道やブロガーから大きく取り上げられたウィキニュースの立ち上げなどです(7ページの「メディアにて」をご覧ください)。

この4ヶ月の間に、英語版だけでなく他の大きなウィキペディアも、いくつかの主要なメディアで取り上げられるようになりました。たとえばフランス語版ウィキペディアを題材とする記事がいくつか書かれました。そのひとつには『リベラシオン』誌があり ([24])、また非常に批判的な『シャルリー・エブド』誌の記事がありました([25])。11月27日には、アンテールがラジオBFMでラジオインタビューを受けました( [26]をご覧ください)。ヤンも1月にラジオのインタビューを受けました([27])。

ウィキメディア・プロジェクトに関する記事の引用は、7ページの「メディアにて」をご覧ください。

アンジェラ・ビーズリー
アンジェラ・ビーズリー

アンジェラもまた BBC Radio 4 のインタビューを受けました。以下アンジェラがその模様をご報告します:

「11月17日、私は、ウィキペディアについて、初めてのラジオ・インタビューを受けました。番組は BBC ラジオの You and Yours でした。最初に申し込みを承諾したとき、これが生放送だということは知りませんでした。けれども始まってみれば、事前に思ったほど恐ろしいものではないことが分かりました。インタビューはイプスウィッチの BBC サフォーク局で行われました。私の自宅から一番近い BBC エセックス局のスタジオはそのときすっかり塞がっていたからです。到着すると「グリーン・ルーム」で待つようにと案内されました。これは名前ほど感銘ぶかいものではありませんでした。部屋には、ソファ、飲料水、BBC ラジオ・サフォーク局に関する報道のスクラップ・ブックがありました。録音が始まる前に、私は小さなスタジオに連れて行かれ、ヘッドフォンを渡されました。これは番組とマンチェスターにいて話しかけてくるディレクターの声の両方を聴くことができるようにするものでした。録音中、スタジオには私ひとりでした」

バンバー・ギャスコインが、百科事典の歴史をかいつまんで話し始めました。そして録音済の、伝統的な百科事典とウェブを使うことを比較する家族への調査が再生されました。 次に、マンチェスター工科大のイギリス人教授、マイケル・シュミットが、今日ではいかに自分の学生が書籍で調査するよりもコンピュータを使う傾向にあるかという話をしました。司会者のリーズ・バークレーが、どのようにウィキペディアが機能しているのかのポイントを話すように私にたずね、私はサイトがどんな人にも編集可能であること、荒らし行為がどうやってすぐに発見され差し戻されるかを説明しました。バンバーはロンドンのスタジオにいて、自分のサイトであるヒストリー・ワールドについて話しました。バンバーとマイケルは二人とも、ウィキペディアの項目はある時点で編集されないように凍結されなければならない、と感じていました。しかし私は、恒久的にページを編集できなくするよりも、あるバージョンを「安定版」としてチェックをつけておき、安定版を必要とする読者にはそちらを示し、最新の項目は編集できるままにしておくという考えを話しました。番組のこのコーナーは20分弱の長さがあり、バンバーがこう締めくくりました。『印刷された百科事典は信用できるという考えには意味がないということですね』」

このときの番組を聴く



4

プロジェクトから


ピッチャーのモーション

 

新プロジェクト

11月にプロジェクトが開始して以来、競うように投稿がなされていると言えるほどに記事の増えていくウィキニュースについて、多くのことが書かれ、また言われました。ウィキニュースを気に入った人もいれば、気にいらない人もいます。8人から10人ほどの活発な投稿者による運営方針についての議論とともに、総計200ほどの記事が書かれました。詳細は以下の記事をご覧ください。

プロジェクトからの簡単なお知らせ
ウィキジュニアについてのレポートで後述される、ただいま進行中の最新の刊行の計画をご覧下さい。

2005年1月、ウィキペディアのウェブサイトは他言語ポータルに移行しました。これには2年もの間にまばらに議論が展開され、結局www.wikipedia.orgから英語ページのすべての言語版へのリンクがあるページに転送ということで落ち着きました。
設立当時、ウィキペディア英語版は www.wikipedia.org にあり、他の言語版にはISO 639に基づくドメインが割り当てられていました。しかし、2002年10月ついに英語版はその適切なドメイン名である en.wikipedia.org に移行され、同時に www.wikipedia.org は英語版へのリダイレクトとなりました。
このすべての言語版へのリンクの作成は、長く以前の状態を放置していた事実や、ウィキペディアが多言語理展開をしているという立場から、理事会のメンバーや非英語版のウィキペディアンからの支持を受けました。しかしながら、この移行には多数の人が驚き、この移行を嫌がる一部の英語版利用者は、新たな変更にとまどいの色を見せています。マイケル・スノーが詳細をお伝えします(英語版ウィキペディアの記事)。


ウィキニュース

ウィキニュース英語版とドイツ語版は、2004年12月に公式に発足しました。1月には続いてオランダ語版もはじまりました。ウィキメディアの新規プロジェクトとしては初めて、コミュニティーのメンバーによるブレインストーミング、複数言語での投票、理事会の承認というプロセスを経ての発足となりました。エリック・メーラー (Eloquence) が企画原案の作成や投票のとりまとめからサイトの基本的な構成や作業フローのデザインまでのプロセスを主導しました。そうしたプロセスを経て当初はデモ・バージョンとして発足したウィキニュースでしたが、インターネット上のブログ製作者やウェブ掲示板スラッシュドット、大手メディアなどから注目を浴びることになりました。

ウィキペディアの成功がニュース報道にも応用できるのかどうかが、恐らく最大の疑問点でした。ウィキメディアのプロジェクトへの参加経験が豊富な人々の多くが心配したのは、報道は百科事典の作成と比べて速いペースでコンテンツの作成が行われるために、中立的な観点の方針から外れたバイアスのかかったニュースが提供されることになるのではないか、という点でした。これらの疑問について決定的な結論はまだ出ていませんが、これまでのところプロジェクトは有意義な進展を遂げています。

ウィキニュースは現在、ベータ版として活動しています。活動方針や作業形態などについて実験や試行錯誤を続けていますが、ウィキメディアのプロジェクトのひとつとしては地位を確立しました。そのような中でエリック・メーラーはプロジェクトの軌跡と今後の行方について考察したエッセイを発表し、公式な査読制度が現在改革の対象となっており、よりシンプルで放任型に近い仕組みにおきかえられつつあることを指摘しました。サイトのルールや制度をシンプルにすることで新規参加者に親切にしよう、「誰がどんな編集をしてもよい」というウィキの基本的な原則に立ち戻ろう、という方針と、品質管理のための仕組みやそのためのルールをしっかり適用しようという方針との間に葛藤があります。査読を受けていない記事や、未完成の記事をメインページで発表するべきかどうかという点についても、同じように議論になっています。IlyaHaykinson, TalkHard, Lyellin など一部の活発なユーザはこのような問題について長文の考察を発表しています。

新規記事の半分ほどが政治や紛争を扱っていることを考えるなら、バイアスや正確さについて心配するのも当然のことだと言えるでしょう。例えば、一部の参加者は、ウィキニュースが力を入れるのは週刊のニュースメディアのような深く掘り下げたニュース報道であるべきで速報性よりも品質管理を重視する方がよいのではないか、と考えています。 Carlosar はウィキニュースの中でも最も活発な参加者の一人で、記事の中立性に関する多くの議論に参加した経験を持っていますが、彼の観察によれば、ウィキニュースの質は向上しており、優れた結果を生み出しています。しかし、プロジェクトは大きな課題を乗り越えていく必要があります。多くの人が、本当に自由でオープンで中立的なニュースソースを確立するのは、自由な百科事典を作成するよりももっと困難なことではないかと考えています。ウィキニュースでは、ウィキメディアのほかのプロジェクトに参加している方々の助力と、形成されつつあるコミュニティへの参加を歓迎しています。

関連ページ: ウィキニュースの参加者によるエッセイ・考察

  • Erik Moeller (Eloquence): [28]
  • IlyaHaykinson: [29]
  • TalkHard: [30]
  • Lyellin: [31]
  • Carlosar: [32] およびこのページの他の節

マスメディアとスラッシュドット:

  • Wired News Wikipedia Creators Move Into News by Joanna Glasner, November 29, 2004. [33]
  • TechNewsWorld Open-Source News? Wiki Builds a New Kind of Journalism by John P. Mello Jr., November 30, 2004. [34]
  • Slashdot: [35]

統計データ:

作成されたページ数:2,000 ページ
記事数:150-200本
記事の分類・整理用カテゴリ数: 150 カテゴリ
登録ユーザ数:800 名強
総投稿・編集回数:8000 回弱

今週の翻訳

が10月の終わりに始めたとき、この企画は最初はたんなる試みに過ぎませんでした。しかしGangnihessouの翻訳は成功に終わり、さまざまな言語への翻訳がなされました。そこから発展した今週の翻訳記事は、さまざまな言語のウィキペディアから、あるひとつの項目を選んで翻訳するプロジェクトです。翻訳された項目は今日までに10を数えます。「今週の翻訳記事」では、ひとつの項目をあるウィキペディアの言語版から選び、ウィキペディアをまたがる翻訳の候補として提示します。項目が賛成多数に達すると、「今週の翻訳記事」として掲載され、可能な限りさまざまな言語へと翻訳されます。開始から10週たって、64人の登録された参加者に加え、各ウィキペディアでのさらに多くの人が参加しています。これまでの翻訳数の記録はで達成された39言語ですが、それには及ばずとも、いままで翻訳されたどの項目でも16言語以上に翻訳されています。
ウィキジュニア

国際児童年 - 子どもの絵
国際児童年 - 子どもの絵

私たちの努力が正統なものだと認められつつある証拠に、ベック財団はウィキメディアに少し前、年少の読者たちのための教育教材を開発できるかどうか打診してきました。提案の受け入れの後、8歳から11歳を対象にしたオンラインと印刷物のプロジェクトを立ち上げるために、ウィキメディアに1万米ドルの資金を提供することにベック財団は同意しました。

初め、このプロジェクトは、ファウンデーション・メーリングリストではやや不満の声で迎えられ、またウィキスピーシーズ同様に、理事会があまり他からの意見をいれずに始めたプロジェクトであるともいわれました。しかしメタウィキで準備が始まるや、プロジェクトはその焦点に向けてよりよく組織され、このプロジェクトに気付いたすべてのウィキメディア投稿者から多くの援助と励ましを受けました。

完成の暁には、プロジェクトが出版する本が全世界で入手できるようになります。価格は無料か、または各地で、両親にではなく、子どもにとって入手しやすい値段になるでしょう。紙質のよいフルカラーの雑誌形式のブックレットは、さまざまな図版をたくさん載せることで、子どもの読む力を補い好奇心をかきたてることになります。

私たちにとって最も大きな課題の一つは、私たちの文章の書き方とコンテンツを、子ども向けにすることです。シリーズの最初のブックレットを完成させたときには、その内容は、ログインしていない閲覧者には編集できないサイトへ移されます。すべての収録内容はそこで経験豊かな教育関係者によって査読され、また認証されます。

アフリカ大陸のウィキメディアンたちの助力で、南アフリカに関する号が作り上げられている最中です。これは企画された本のうち、最も速いペースで作り上げられています。

すでにオランダ語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、スウェーデン語での翻訳が申し出られています。このプロジェクトでの現在の目標は、英語版に従属せずにコンテンツを開発することにあります。他の言語での印刷版を作るためにはさらに追加の資金提供が必要になるでしょう。

ウィキジュニアがどんなものに仕上がっていくかを、どうかご覧になりに来て下さい。情報を提供し、あなたご自身を翻訳者のリストに載せて下さい。プロジェクトの名前に関する議論に参加してください。私たちが始めたプロジェクトが真に実際の世の中で注目に値する結果をもつことによって、ウィキジュニアによりウィキメディアの信用も増すことが期待されます。

ウィキバーシティー

ウィキバーシティ
ウィキバーシティ

現在、スペイン語版ウィキバーシティはウィキリブロス(スペイン語版ウィキブックス)よりも、もっと速く成長しています。化学・物理学・計算機科学・哲学・言語学の学科がすでにあり、活発な参加者がいることで、ウィキバーシティ・プロジェクトの基盤はどんどん強いものになってきているように見えます。現在のところ、特に計算機科学学科Escuela de Ingeniería Informáticaがもっとも活発で、7人の参加者がおり、8学科と大学レベルのカリキュラムの概要1つを備えています。物理学科と化学科にも活発な参加者がおり、言語学科には最近作られた中国学部門があります。"Claustro"で私たちはウィキバーシティがどのような組織であるべきかを議論しています。

議題の一つに、もしウィキバーシティをウィキブックスから独立したプロジェクトとするのであれば、別のドメイン(例えば wikiversity.org) をウィキメディアコミュニティに提案するか否か、というものがあります。実際、ウィキバーシティは教材を作るためにウィキブックスを使うだろうし、そうすべきですが、学科によっては他のウィキメディアプロジェクトに深く関わることもあります。例えば、"Area de Sinología" はウィクショナリーの中西、西中セクションを参照することから始まるでしょうし、ウィキペディアの「中国文学」も最初に参照されるでしょう。つまり、ウィキバーシティのもつ視野はウィキブックスよりもずっと広いのです。ウィキバーシティはその性質に従い、ウィキメディアのすべてのプロジェクトから恩恵と参加者を得る必要があるのです。一度ウィキバーシティをご覧になり、参加なさってはいかがでしょうか。え、あなたの言語版にはウィキバーシティがないですって。ではご自分で始められてはいかがですか? ;-)

各言語版

Ar: いまある項目を改善するためにたくさんの努力がなされました。また毎日少しずつ新しい項目が付け加わっています。現在特別なプロジェクトは行なわれていません。

En: ウィキペディアの規模が大きくなったため、コミュニティで起こった重要なことを追うのはどんどん難しくなってきています。Michael Snow はこのことを書き、情報を集めるための新しい努力を行い、 The Wikipedia Signpost という新聞を作りました。この新聞は週刊の予定です。 をお読みください。

Es: 大きな成功を収めているプロジェクトでは、毎週ひとつの国に関する項目を選び、そこに加筆するよう執筆者を促しています。項目に情報の少ない国を優先して扱っています。

Ja: 利用者「っ」さんの尽力により、国土交通省の航空写真が GFDL で利用できることが明らかになりました。フェアユース画像が利用できない日本語版にとって、これは朗報です。「っ」さんと国土交通省に感謝します。また wikipedia.org のトラフィックは前年比 635% 増を記録しました。日本語サイトのなかではもっとも大きな増加率でした。ウィキペディアのアクセス数は現在、日本でもっともアクセス数の多い yahoo.co.jp の 7% に相当します。

Zh: 待望の機能、 繁体字・簡体字自動変換機能が MediaWiki1.4 によって導入されました。これによってより多くの伝統的な中国語を使う利用者がウィキメディア・プロジェクトに魅力を感じ、コミュニティが再編されることでしょう。 がこの素晴らしい仕事に大きく貢献してくれました。

It: クリスマスには、クリスマスと新年を祝うカードを贈るのが伝統的なならわしです。イタリアではその文句は “ Buon Natale e felice Anno Nuovo ”、つまり「クリスマスおめでとう。そしてよいお年を」と決まっています。Buon Natale e felice Anno Nuovo! はこれに関する企画です。ウィキメディア・プロジェクトが行なわれている言語のなかで、できる限り多くの言語にこの表現を翻訳し、そして発音をサウンドファイルととしてコモンズに収録すること、これを私たちは目指しました。

このプロジェクトでは、それぞれの地域や国で、あるいは属している文化でどのようにクリスマスを祝うかを追求します。たとえば多くのキリスト教徒がクリスマスを12月ではなく1月に祝います。また誰でもが「クリスマスプディング」を知っているわけではなく、またクリスマスといえば雪ですがオーストラリアでは決してそうはなりません では、クリスマスに関するたくさんの資料をみることができます。

もご覧下さい。

支部より

ウィキメディアの初めての地方支部ふたつが、ドイツとフランスで、2004年に設立されました。ふたつの支部はそれぞれ理事を選出し、関係する各国で活動しています。

この秋、イタリア、オランダ、ルーマニアで、地方支部を結成することにそれぞれの地域のウィキメディアンが関心を表明し、詳細を議論するために、ネット上で、また実際に集まって、何回かの会議を開きました。特筆すべきことに、ルーマニアではすでに約款の起草が一部はじまっています([36])。

設立済の支部と提案中の支部の双方に共通する問題が存在します。設立される支部が、ある国における支部なのか、それともある特定の言語話者の支部なのか、あるいはそのどちらでもないのかという問題です。たとえばヨーロッパ支部を設立する構想がありますが、これが地域的にどのような範囲をもつのかは可変であり、いっぽう言語による範囲の限定は存在しません。イタリアオランダでの支部創設については、中間報告が出されています。

ウィキメディア・ドイツ

ウィキメディア・ドイツは、たくさんの運営に関わる仕事で忙しくしています。ドイツ支部は非営利団体としての免税措置を獲得することに成功しました。ウィキペディアにおける著作権法と GNU FDL の影響についてしばしば繰り返される疑問を解消するために、ウィキメディア・ドイツではドイツ語版ウィキペディアのための法的問題の FAQ を、オープンソースとオープンコンテントライセンス問題を専門とするドイツの弁護士に発注しました。

9月の終わりに、ウィキメディア・ドイツは、シュトゥットガルト地域経済開発組合 (WRS) とベルリン応用工学大学(FHTW) 教授デボラ・ウェーバー=ヴルフと共同で、ドイツ連邦教育研究省(BMBF)によって開発され資金提供される研究プロジェクトに参加し活動を始めました。プロジェクトは「教育におけるニューメディア」[37]といいます。最終的に2つの申請書が提出されました。選考は2004年一杯まで続けられます。

10月の初め、ウィキメディア・ドイツは欧州安全保障協力機構 (OSCE) と接触しました。OSCE は ワルシャワで OSCE 人間的領域改善会議[38] を主催しました。これにはジミー・ウェールズがシンポジウム「インターネットでのメディアの自由を保障」にパネリストとして出席しウィキペディアについて講演を行ないました。この月の後半にはドイツ支部のメンバーがベルリンで10月22日から23日に行なわれたリナックスのカンファレンス、ベルリナックスにウィキペディアのブースを出し発表を行ないました。ジョン・"マッドドッグ"・ホールがウィキペディアの Tシャツを着ているところを見たという噂が流れています。出版社ブロックハウスとの接触については、会議を数回重ねており、またウィキペディアの CD を出したベルリンの会社ディレクトメディアとの接触も同様です。ウィキペディアCD のリリースはドイツのメディアから幾つかの好意的な批評を受けました。そしてコンピュータ雑誌 Chip の付録として配布されました。ディレクトメディアは現在、春に DVD バージョンのウィキペディアを出す計画を建てており、ライプニッツ書籍見本市に出すブースにともに参加するようウィキメディア・ドイツに提案しています。この見本市のブースはまさにブロックハウスのごく近くにあります。

12月には、ウィキメディア・ドイツはカオス・コンピュータ・クラブが年一回主催するカンファレンス 21C3 に出席しました。ジンボ・ウェールズがウィキペディアについての発表を行ないました。またウィキメディア・ドイツでは、メディアウィキについての会議に出席できるようにと、メディアウィキ・ソフトウェアの主な開発者である二人の開発者、ティム・スターリングとブライアン・ヴィバーを招待しました。

この3ヶ月間、ドイツ語圏の報道では、ウィキペディアについてのたくさんの言及がなされました。ターゲスツァイトゥングはウィキペディアについての記事をのせ、ドイツ最大の雑誌っである『ビルド』では、ウィキペディアの使い方を含む記事が掲載されました。ようやく始まったばかりのドイツ語版ウィキニュースは、それにもかかわらずドイツの報道関係者には非常によく知られています。

ウィキメディア・フランス

ウィキメディア・フランス([39])は、 フランスの非営利団体として、2004年10月23日パリで公式に20人の創設メンバーによって設立されました。創設メンバーのなかにはウィキメディア財団の理事会も含まれます。この設立総会では、約款の最終稿が採択されました。ウィキメディア・フランスの目標は、すべてのウィキペディア・プロジェクトを推進することですが、その重心はフランス語プロジェクトにあります。またウィキメディア・フランスはフランスおよび必要とされるならば他の国々でウィキメディア財団を代理する役割をもちます。ウィキメディア・フランスはフランス語版ウィキペディアへのいかなる編集上の影響をも行使しません。法令上の介入はたんに法律問題についての介入のみに限られるでしょう。

設立メンバーと他の関心をもつ利用者は、ウィキメディア・フランスの目的ととるべき手法をさらに決定することを目的として、ウィキメディア・フランスの一連の内部の政策を確立するために働いています。

ウィキメディア・フランスは10月25日に IRC で理事を選出しました。Ryo が会長に、Yann が書記に、Shaihulud が財務担当に選ばれました。

最後のステップは、協会をフランス当局に非営利団体として登録することでした。このためには約款にすべての設立メンバーが署名することが必要です。 最後に残った署名はジミー・ウェールズのものでした。署名された約款は今フランスに送られている最中なので、協会は2004年の終わりまでに法的に実体をもつものと期待されています。これによってウィキメディア・フランスは法人として活動すること、例えば銀行口座を開いたりすることができるようになります。さしあたっての目的は協会を公益のための団体として認可してもらうこと、また会費を所得税からいくらか控除してもらえるようにすることです。そのあとで、口座を開き、寄付を受け付けるなどの実際の仕事ができるようになります。

ウィキメディア、特にウィキペディアについて、いくつかのミーティングを開く機会がありました。詳細はWikimédia Franceをご覧ください。



5

ローレンス・レッシグ
ローレンス・レッシグ
インタビュー:ローレンス・レッシグ


12月の長い一日の終わりの静かなひととき、Quarto はのインタビューに成功しました。レッシグ氏はスタンフォード大学法学部教授で、の創設者かつ議長、フリーカルチャーの創造者です。あっという間に終わったひと時、レッシグ氏は著作権、コピーレフト、フリーカルチャーへの妨げとなること、ウィキペディアへの法的な落とし穴、よい戦いかたをすることについて語ってくれました。

Collective Works and the Copyright Frontier

Some of the most frequent questions Wikipedia users have are about copyright: how will their current work be reused?; what are the greatest long-term risks to simple reuse of collective content?; and what can we do, now, to reduce those risks?

LL: The greatest long-term risk would be a series of legal decisions that throw into doubt, the ability of the project to rely on the collective assignment [of] rights. And, I think the way you deal with that is to figure out the FDL structure that best facilitates that collective assignment of rights. I know there are projects and study groups that think about that.

How did you conceive of the idea for the Creative Commons?

LL: We recognized how the internet and the way the law's structure was going to interact... in a way that would presumptively make a whole pile of material unavailable, when the intent of the copyright owner or the intent of society should be to make it available. So, we were trying to be creative about how to solve this legal problem produced by the unintended consequences of the way the law was architected.

When Wikipedia was starting, Creative Commons licenses didn't exist yet. Was it already obvious, then, that new types of licenses would be needed?

LL: The objective of copyright law is primarily to help creators do what they want to do. I think it was obvious that the default way copyright law functioned would not encourage enterprises like Wikipedia, but that you could supplement copyright law with licenses the [same] way Richard Stallman tried to supplement software copyright law. I don't think it was an indictment of copyright law that its default mechanism didn't facilitate this amazing new capacity.

But, enterprises like Wikipedia strain copyright law, certainly. It is hard to express the understandings of the people participating in the construction of this creative work, and nobody understands how the work will develop and change.

For example, in Germany, a copyright owner can't sign away rights to technologies that don't exist. In the US, we have clauses like, "I'm signing away my rights to all technologies now known or ever to be discovered..."; this is not possible in Germany. On the one hand, that's a good thing; because you have to go back to the author to get permission for some new use, something of great value to the author.

But, in the context of Wikipedia, if you have to go back to clear rights for every new technology that comes along, part of the objective of the authors is defeated. So, there's a need for copyright law to reflect this. There's no reason, in principle, that it can't, so long as we move to reasonable or balanced discussion about copyright law, as opposed to the extremist views that dominate the debate right now.

Copyleft, Trademarks and Free Culture

Is the growth of the copyleft movement another force advocating for permanent extensions to copyright law?

LL: That is an interesting consequence of copyleft. In a theoretical sense it is quite important... because the side of freedom seems to benefit from the side promoting control.

There's another sense in which that paradox is always going to be part of the copyleft movement. I described [elsewhere] how there is this radical change in the scope of copyright law effected by moving to a digital network. It's only because of this radical change in the scope of copyright law that projects like Creative Commons can get going. You wouldn't be able to attach a Creative Commons statement to a book in realspace, and say, "if you read this book, you have to do it Share-and-Share-Alike," and expect it to have legal force -- the only way that *could* have force, is if there was a contract entered into every time you opened a book, and there's no grounds to believe that.

But, because on a digital network every use of a creative work produces a copy, there is a foundation upon which to insist on a license every time you use the work; that's where the Creative Commons license gets its power.

So on the one hand, many of us are very skeptical about this explosion of copyright regulation. But on the other hand, we take advantage of it in Creative Commons. [laughs]

With licenses like Creative Commons/GFDL, we get away from some copyright barriers. Do you see other barriers to the growth of free culture, in law or in culture?

LL: All of the problems that exist for free software will increasingly be problems for free culture. The most prominent is software patents, which will increase the coordination costs of software development projects in a way that favors proprietary projects.

Another huge problem will be trademark, an area of law in radical need of updating in light of new technologies. You see this in eBay auctions: people auction their Rolex watch, Rolex says, "you can't do that, you're infringing our trademark...". The law compels Rolex to defend their trademark or lose it, so in some sense they're forced to take that ridiculous position. But in some cases they like taking that position, because that protects them from competition.

This could affect projects like Wikipedia, especially as Wikipedia becomes more ambitious in the types of media it provides and the access it affords. I think that [legal] irrationality, or trademark law that is out of tune with the technical framework, will provide danger to Wikipedia much as it provides it to the libraries of free culture.

Is there anything we can do to forestall that?

LL: Not really. The problems with trademark beg for legislative and judicial correction. There are certainly steps (which it's not appropriate [for me] to advise about) -- there are steps you could take to minimize exposure, but on the other hand there are steps we ought to take to change the legal rules, to make them make more sense.

Languages, Translation

Unlike CC licenses, the GFDL is only officially in English; do you see this as being harder to scale to hundreds of different municipalities?

LL: Obviously, I agree with the substantive objectives of GFDL. My personal view (there's disagreement about this) is that GFDL is optimistic that it can apply internationally without trouble by insisting on an English [license] requirement.

How do big organizations like the UN deal with this?

LL: A better analogy : how does Microsoft deal with this? Microsoft has licenses which it attaches to its software... designed to be universally applicable, but also localized, depending on where you're from. It's dealing with it in a similar way that [Creative Commons is] dealing with it. The objectives of the licenses are very different, but our reaction to the legal reality is fundamentally the same.


 

Wikipedia, Cultural Content Reuse

How did you first discover Wikipedia as a site? What was your initial reaction?

LL: I remember spending an extraordinary amount of time for me (an hour, two hours) just wandering through Wikipedia when I should have been doing other sorts of work, trying to figure out how it was working, who was doing it, and what made it function. It was one of those "Aha!" moments in experiencing the Net - people always said this sort of thing would be possible, and here it was, happening. And happening with much greater success than people would have predicted ex-ante. It was an extremely exciting moment.

Is it fair to say some big content holders -- MIT, the BBC, the Supreme Court -- have released restrictions on much of their content, but we have yet to see it extensively reused?

LL: It depends on how you mean 'reuse'... In the sense of taking media content and remixing it, we're just beginning to see a lot of that. But that's because the technology is just beginning to penetrate. It's going to take time before people feel comfortable with that.

That's beginning to change, as archive.org and similar sites make content available and people begin to use it in really powerful ways. The more that happens, the easier it will be for people like me to argue [in advocating changes to copyright law], "this is an important part of culture."

CC vs GFDL, CC and WP

Creative Commons and GFDL are similar in spirit, but not technically compatible. Do you see merit in making them compatible? Or do they serve different purposes?

LL: At the level of abstraction we typically think about, to the extent that we are talking about free licenses, there is perfect compatibility between the objectives of GFDL and of Creative Commons licenses. Right now they technically don't interoperate... It would be great if we could make them all interoperable.

How long will it be before we can have this kind of interoperability?

LL: The hard thing for a project like Wikipedia is the retroactive part -- to what extent can we conform the old with the new? From the standpoint of "when will we have the tools to [create new content] in a cross-platform-compatible way?" (where 'platforms' mean different free license platforms), I expect within 6-8 months we'll have that technology built in.

Wikimedia develops lots of content, but few people gain any reputation; the Creative Commoners you talk about are creative artists striving for reputation. Do you think these are paths to different creative cultures? Will there be a merging of the notion of the individual creator, with that of people contributing to a whole?

LL: I don't see them to be as distinct as that question presumes. You can look at somebody like Louis Armstrong and say "Wow, wasn't he amazing?" Or you can look at jazz, and say, "Isn't jazz amazing?" And its amazingness is constituted in part by particular people like Louis Armstrong. I think that's similar to what you see if you look at Wikipedia vs. what Creative Commons is typically describing.

Because Wikipedia is jazz, it is amazing -- the product of innovation, and "building on top of," in exactly that way. It is harder to be a particularly great jazz musician within that tradition, harder to be noticed, but I'm sure you could point to particular people (I don't know who they are) who have done the most amazing work within that particular genre.

We're both building great genres one creator at a time. Depending on the project, you might be more astonished by the collective product, or by the individual contributions to it.

CC version 2 has attribution as a fixture, not an option. Is part of our culture changing its notion of authorship?

LL: Creative Commons has not been building licenses so far to deal with this idea of collective authorship. But we are spending a lot of time thinking through what the appropriate CC-like license is for projects like this.

You could think of a CC-wiki license which would be a form of work-for-hire but not in the traditional sense. That's something we're thinking about and obviously eager to provide if the market of free culture has a strong demand for it.

You try passionately to change the law in a number of ways, in court and with the Creative Commons. Do you see the efforts to change free culture through Creative Commons as more promising than going through the courts?

LL: Multiple strategies are essential. Nothing in Creative Commons insists that people agree with me about copyright terms, or about problems of over-extensive rights being granted by Congress. So we can get allies in the context of the free culture who think of me as the devil in the context of copyright regulation. That's important, because it reflects a basic humility about the law which I think we all should admit: none of us really knows what is the best thing here.

But it also permits different movements to be understood differently. The free culture movement, driven by a bunch of students and projects around the country, is different from Creative Commons, and that's different from what I do at the Center for Internet and Society. We don't demand a loyalty test across all of those things.

There has been some discussion recently among Wikimedia volunteers about the Foundation getting involved with political advocacy...

LL: I don't know enough about the dynamics of the Wikimedia Foundation. It's not obvious that an organization as successful and as powerful as the Wikimedia Foundation in the context of building free culture, should (or shouldn't) take on the very difficult and alienating and divisive battles around the copyright wars. I think it's a question that needs to be addressed after a lot of consideration, and not just on the basis of what particular people think is right.

Case of Evil

Thank you. Finally, on a lighter note: if you woke up tomorrow with a bad case of EVIL, what legal mechanism would you use to try to bring Wikipedia down?

LL: <ponders> One of the hardest features of copyright law, for projects like Wikipedia, is the international variability of copyright terms. You could exploit that to create great liability for Wikipedia by finding content which is only free in some jurisdictions... and then use other jurisdictions to shut it down.

You'd have to really want to do it, and that is the great structural protection that Wikipedia has. There might be particular people who don't want their work used, and they'll complain and you'll have to take out their content. But there is no strong enough enemy who would craft a strategy to do it. I think Wikipedia can survive local problems, and won't have a generic evil opponent.

Thank goodness. And thank you for your time!




6

メディアでは

アメリカ合衆国ニューメキシコ州ソッコロの天体望遠鏡群。撮影者: Hajor
アメリカ合衆国ニューメキシコ州ソッコロの天体望遠鏡群。撮影者: Hajor

このページではあらゆる形態のメディアによるウィキペディアについての評価、良いだの、悪いだの、あるいはどちらでも同じだ、などという声をを概観します。今までのところ、ウィキペディアがメディアの注目を独占していますが、次のニュースレターでは姉妹プロジェクトへの言及も同様に抜粋できるように望みます。

考察と賞賛
-9月1日:「誰もすべてのことを知りはしないが、世界中の人がそれぞれ何かを知っている」--SVM
-9月20日:「我々は時間の節約ができることが分かったから、ウィキペディアを気に入ってしまったのだ」--ザ・インクワイアラー
-9月23日:「ちょいといい人になって、連中の募金集め運動の最中に、札で何枚か出してやってみないかい?」--ヴィレッジ・ボイス
-9月25日:「しかし驚くべきことは、秩序が混沌に勝利を収めるということだ」--ライプチガー・フォルクスツァイトゥング
-9月30日:「すべての知識の泉だ」--マサチューセッツ技術会議のティム・バーナーズ=リー
-10月7日:「デジタル時代の不思議の一つ」--ザ・ガーディアン
-11月1日:「コントロール構造すらないが……項目のカバーする分野の多さは市販の百科事典群と肩を並べる」--リーガル・アフェアーズ
-11月5日:「ウィキペディアはチームワークの無限の表現であり、見応えのある結果を見せてくれる」--USAトゥデイ
-11月8日:「インターネットの底力を見せてくれる世界規模プロジェクトだ」--セント・ピーターズバーグ・タイムズ(フロリダ)
-1月5日: 「ボランティアの一団が援助しているという印象を受ける。飴も鞭もなく、能力を発揮する、そんな人々がいる感じを」 --キャプテン・ドック


批判的な視点:
-9月15日:「『中立的な観点』をコンテキストよりもかたくなに重視すること、そこがウィキペディアの嵌り始めである」--ザ・レジスター
-11月15日:「その目指す所に比べて、実際の所記事自体は月並みな編集しかされていない」--テック・セントラル・ステーション
-11月: 「インスタント食品の次は、インスタント科学だ」--チャーリー・ヘブロ氏


おもしろおかしく
-11月10日:「たった 850字で書かれたワイアード・アルの人物評をどうやって弁護できるでしょう」--ザ・オニオン


特別な報道: 報道は、100万項目の達成、他の百科事典との比較、米大統領選に先立つ、白熱したきわめて活発な編集を含んでいます。


-9月23日:「百万項目を集め、インターネット全体の主要なリファランスサイトのひとつになった」--エル・ムンド
-10月14日:「自然科学の領域においてのみ、ウィキペディアはトップの座を(ほかと)分け合わなければならない」--ツァイト
-10月14日:「ブッシュとケリーはセックスと宗教にかかわるさまざまな項目よりも、もっと多くの議論を作り出してしまった」--レッド・へリング


ウィキペディアの姉妹プロジェクトに関してはこんなコメントもあります
-10月25日:「個人的には、未だにオックスフォード英語辞典に頼っているけどね、いつの日かウィクショナリーが淘汰してくれる日を願っていたりもするんだ」--ザ・ステーツマン
-12月4日:「伝統的なメディアと出版業界を再考察しようとする最新の努力、ウィキニュース」--eSchoolニュース


1950年代、テレビを視聴する家族
1950年代、テレビを視聴する家族
出版業界が事実を正しく把握するのに苦労している証拠をご覧下さい。ウィキペディアを創設したのは次の人々だという説が唱えられました
  • ハワード・ラインゴールド、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンによる、9月11日
  • リンドン・ラルーシュ、ランタン誌(オハイオ州立大学発行)による、10月4日


ところで、ホットワイアード (Wired) はウィキペディアという言葉の新しい使い方を考えるのが好きなようです。
  • 「ググる」のような動詞として
-10月25日:「オープン・ソーススタイルでウェブ上にウィキペディア出来る」--ワイアード・マガジン
  • インターネットでの生活の暗喩として
-12月2日:「大きなウィキペディアの住人である、増大するテクノ中毒者の一人」--ワイアード・ニュース




7

国際欄

 

ロンドン・シティー・ホール。撮影者: ChrisO
ロンドン・シティー・ホール。撮影者: ChrisO


ウィキマニア 2005

ウィキマニア 2005: 第1回ウィキメディア国際カンファレンス[40])が、ウィキメディア・プロジェクト参加者すべてのために計画されています。開催は2005年8月4日から2005年8月8日までの予定です。

このカンフェレンスの発表者は、ウィキペディアの外部の人々もウィキペディアの参加者もともに含んでいます。この会議の目的のひとつは、は様々なプロジェクトの執筆者が集まり、自分の利用する他言語版の状況について知ることにあります。

この2005年夏のウィキメディア会議の開催場所にはフランクフルトが選ばれました。11月中旬頃にはジンボ・ウェールズ、アルネ・クレンペート、マティアス・シンドラー、エリアンが、カンファレンスのための場所の選定を行い、また支援してくれるかもしれない団体と接触しました。会場には、青年の家(訳注:日本のユースゲストハウスに相当する、設備の整ったユースホステル)がふさわしいということになりました。青年の家は新旧を混合したような建築様式を持ち、美しい庭園を備えています。この後、会場に予約を入れ、つまり青年の家のほぼすべてを8月4日から8日までを借り切ることになりました。400人収容可能な会議場、小さなホール数部屋そして300ベッドが予約されました。さて、この次にやらなければならないことは、参加者の予約システムを立ち上げる事と、カンファレンスでの発表原稿の募集です。

このカンファレンスでは3日間の親睦活動と、2日間の大会が行われます。年に一回開かれる最初のウィキマニア・イベントとなります。ウィキエンジンおよびウィキメディア・プロジェクトに関する、技術的、学術的、ビジネス的側面からの発表がなされるでしょう。

大会会場と宿泊施設の双方に、ドイツのフランクフルト・アム・マインにある、ユースホステル兼社会活動センターである「青年の家」があてられます。ここは NPO の大会にしばしば会場とされる場所です。このカンファレンスに関して興味のある方はこちら([41])にあるページで登録することができます。スケジュールや開催場所などにかんする情報もこのページにあります。  

日本でのミーティング

10月、11月と、日本のウィキペディアンは、、の三都市で連続してミーティングを行いました。など他の都市に住むウィキペディアンも参加しました。参加者は高校生から40代の夫婦まで多岐にわたりました。東京では横浜在住のフランス人ユーザーさんがトロフィーを持参しました。これは日本広告主協会から日本語版ウィキペディアに9月に贈られたもので、その後ジミー・ウェールズ氏に送られました。ミーティングでの話題は日本語プロジェクトの自治の改善、ウィキペディアでの注目に値するさまざまなユーザの活動、そして参加者自身のウィキペディアでの活動などでした。  

ボルツァーノミーティング
ホッヘパン山から眺めたボルツァーノ 撮影: ラインハルト・クラーシュ (RKraasch)
ホッヘパン山から眺めたボルツァーノ 撮影: ラインハルト・クラーシュ (RKraasch)

11月27日、リナックス・デイ・カンファレンスと同じ日に、イタリアのウィキペディアンはボルツァーノに集まりました。この集まりの大きな話題の一つはイタリアの地方支部の設立でした。この会にはドイツからも何人かのウィキペディアンが参加し、非常に参考になるドイツ支部設立の経験を話してくれました。ここではいくつか重要な点が承認されました。この組織の規約が作られなければいけないこと、規約は支部で議論されるべきこと、また onlus 型かその他の非営利形態になるかも議論されるべきこと、などです。管理者でいることについて現在イタリア語版で議論され、さまざまな形で投票が行われています。このミーティングでは、活動的でない管理者は、名簿の上で別に記載することが決められました。こうした管理者に利用者は連絡を取り、なんの反応もないことに対して不満を抱くことのないためです。最後にリストの代用としてのカテゴリの使用についての議論がありました。これまでリストはまだない項目を記載する場所でしたが、これをカテゴリの編集可能部分に移入できないかと言う意見が出ました。  

台北ミーティング
台北の提灯祭。制作: Philo Vivero
台北の提灯祭。制作: Philo Vivero

去る12月4日午後、台北のウィキペディアンによるオフライン・ミーティングが開かれました。当日は、季節はずれの風雨が起こり非常に参加しにくい状況下で、台北駅の駅前にある雲門カフェに、4人の台北在住のウィキペディアンと連合報(UDN)の記者1人が集まりました。

まず、来る MediaWiki 1.4の新機能、繁体字/簡体字変換機能のことが話題に上りました。この機能が実現すると台湾人ウィキペディアンのさらなる増加が期待できます。この新機能についての話題の後は、中国語版のウィキペディアンに見られるさまざまな人物像の違いについておしゃべりがあり、興味深い議論がかわされました。さて、台湾ではYahoo台湾内ではYahoo!奇摩知識(Kimo Knowladge)が開始され、同時に中国本土においてもSina.com愛問(iAsk)が開設されています。この台湾と本土の二つのプロジェクトには、誰もが質問を投稿することができ、誰もがそれに対して回答を付けることができるようになっており、これによってコンテンツが作られていく仕組みになっています。オフライン・ミーティングでは奇摩知識とウィキペディアの違いについて議論されましたが、それによれば中国語版にも奇摩知識やiAskなどのような点数制が必要であると言うことでした。なお、日本語版や英語版などではのような点数制がすでに始動しており、英語版ではまたバーンスターなどによる一種の表彰制度も導入されています。最後に新規参加者の勧誘が話題になりました。  

ベルリン・カンファレンス
ベルリン、ブランデンブルグ門
ベルリン、ブランデンブルグ門

2004年12月下旬、第21回カオス・コミュニケーション・コングレス (21C3) がベルリンで開かれ、ウィキメディアン達とメディアウィキの開発者達が顔をあわせる機会がもたらされました。これはほとんどの参加者にとってソフトウェア開発の方針に付いて議論する初めての顔合わせでした。

21C3 では、ハッキング、科学、コミュニティー、社会、文化について議論され、またウィキメディア関連の2つの講演と2つのワークショップが行われました。ティム・スターリンとブライアン・ヴィバーは「このページを編集する: 100万人を越えるウィキを評価する」と題されたプレゼンテーションを行い、メディアウィキ開発者ワークショップでは司会者役を務めました。このワークショップではメディアウィキの現在のソフトウェアおよび新機能のアイディアの両方が議論されました。また、プレゼンテーションにはハードウェアとソフトウェアの問題に加えて、圧縮アルゴリズムの実装に関する情報も含まれていました。ジミー・ウェールズは「ウィキペディアの社会画法: ウィキペディア・コミュニティは何を知らないか」と題する講演を行いました。この講演ではコミュニティ内での個々のそれぞれの役割が説明され、ウィキペディアは100万人が1行を付け加える編集で形成されるものではなく、お互いの信頼のもとに共同作業で形成されるものであると説明されました。また、エリザベス・バウアー、アンジェラ・ビーズリー、ジミー・ウェールズはウィキメディアにおける共同作業ワークショップの司会者を努めました。ここではウィキメディア財団の役割、国際協力体制、ウィキメディア・カンファレンスなどについて語られました。

ソファーとマットレス付きのウィキペディア・コーナーが1階に設けられました。ウィキペディアン達の待合い場所となり、また他のカンファレンスの参加者へウィキペディアを宣伝するためのウィキリーダーやウィキペディアCD が販売されました。

ベルリンでのこの時間は、ウィキマニア2005のための会議の時間としても使われました。ウィキマニアでの発表者や、そのほかのイベントの内容についてオフラインで協議することが出来ました。  

ウィキペディアに関する論文

ウィキペディアに関する論文がイタリア語版ウィキペディアのユーザのヴァレンティーナ・パルッツィによって書かれました。イタリア語の論文はWikisource で、英訳はこちらでお読みになれます。

この論文は、知識の「集団的生産」について論じています。集団的生産はしばしば論じられる問題で、40年以上にわたって現代のメディアで形成されてきました。その特徴は「知識の共有」の道具及び「集団内に関係を作る手段」としてコンピュータを中心にすえることにあります。この論文ではネット上での知識の集団的生産の一面を論じますが、その特徴を表す活動例として、ウィキペディアプロジェクトを取り上げています。

ウィキペディアのコミュニティについて精細な観察が行なわれます。ミーティングに参加しての「参加者としての観察」にもとづく「仮想の民族史」が書かれ、これにはネットワーク上での聴き取り調査と結びついたネットワーク外での聴き取り調査が伴っています。この観察に加えて、PCの社会構造の初期の段階に始まり、生産の様式と集団の調和を批判的な分析に至る複雑な経路を追跡します。ウィキペディアを、つまりオープンソースというものを内部から観察できるほどに接近するのです。ここで、オープンソースについての理論の中核をなす、リチャード・ストールマンとエリック・レイモンドの二人の理論家の考察を分析します。

次に、さまざまな干渉に注目します。これはネット上での知識の協同生産を支える社会構造の形態を明らかにするために一番役に立つと思われるものです。人文科学の分野では、複雑系と新たなシステムに関する数々の理論を用いることで、こうした干渉の存在が示されました。そしてアルバート・ラズロ・バラバシは、人文科学の分野で示された以上のことを、ネットワークと新たなシステムに関する構造的理論を用いることで形式化しました。 この理論的枠組から始めることで、その研究分野において独自の結果に行き着きます。イタリア語版ウィキペディアには2つの側面が混在していることが分かったのです。ひとつは、発生の力学と複雑系の力学を思い出させる側面です。もうひとつは、仮想コミュニティに関する多くの文献に描かれているようなコミュニケーションの様相を、より典型的に示す側面です。  


ギャラリー

ウィキペディアの美しいコンテンツから一部をご紹介します。<br\>

撮影: Pollinator 鏡合せの湖。エクアドル、カジャス国立公園。撮影: Delphine Ménard (notafish) ピンタンブラー錠のモデル。描画ソフトウェアにより生成、GFDLリリース。撮影: Wapcaplet


ピンタンブラー錠のモデル。描画ソフトウェアにより生成、GFDLリリース。撮影: Wapcaplet

コー・サムイ(タイ、スラット・タニ)。撮影: Manfred Werner (Tsui) ガリウムの結晶。撮影: Foobar カエデの盆栽。撮影: Peggy Greb
南極点付近にて。ハローに囲まれた太陽。撮影: JG Cindy McFee トンボの複眼。撮影: David L. Green バレル・オルガンを演奏する男、オーストリアにて。撮影: Chepry





8

あとがき

アンジェラ・ビーズリーとジミー・ウェールズは2004年8月にBBCのスタッフにプレゼンテーションを行いましたが、その後11月に、ロンドンのブッシュ・ハウスにあるBBCオフィスへの2週間の招待を受けました。この2週間に、ウィキペディアと他の姉妹プロジェクト、またそれらのプロジェクトが稼動しているメディアウィキ・ソフトウェア、フリーコンテントとオープンコミュニティの原則について、BBC のさまざまな部局のスタッフへのプレゼンテーションが行われました。二人は約150名に話をしました。BBCの2万7千人にのぼるスタッフのなかでは、ごく小さな人数です。プレゼンテーションは、対象者がウィキペディアのコンテンツを利用することによりメリットを得る部門であるか、それともBBCのウェブサイトのコンテンツを作るコミュニティを育てようとしている部門であるかによって異なっていました。

ウィキペディアへのリンクに関しては、ジミーとアンジェラは検索部門および編集方針部門とともに制作者向けのガイドラインを議論しました。BBCが同社の検索エンジンでウィキペディアのページを推薦できない理由があるかどうかを調べました。検索部門のウィキにある現在の状況にあわなくなったページは、「三回クリックしたらそれ以上の閲覧を禁止するルール」によって防げることが示唆されました。しかし新しいガイドラインでは、このようなページへのアクセスは問題にはならないことが示唆されています。

オンラインニュース部門へのウィキメディア・プロジェクトのプレゼンテーションの後では、最近立ち上がったばかりのウィキニュースに関心が集中しました。ウィキニュースの方針や信頼性を保つ方法についてたくさんの質問が寄せられました。現在のところ、ウィキニュースでは、独自の報道よりはすでにあるニュースソースの要約に力を注いでいる旨の説明を行ないました。

ラジオ・音楽部門へのプレゼンテーションの後では、ウィキペディアのコンテンツがサイトでどのように見えるかを示すモックアップが登場し、音楽情報提供会社 Muze から BBC がライセンスしている既存のコンテンツとの比較が行われました。

あとの方では、 とウィキペディア・コミュニティの違い、そして BBC サイトでのトップダウン手続をいかに和らげることができるかが議論されました。

BBC での最初の週に、ポーラ・ルデューが「クリエイティブ・アーカイブ」について討論するためにやってきました。このアーカイブでは BBC が保存しているテレビおよびラジオの録音や録画を扱っており、クリエイティブ・コモンズのライセンスでリリースする計画を進めています。ライセンスは非商用のものとなる見込で、おそらくはイギリス国内の使用のみに限定されます。かなりの量のコンテンツについては BBC が権利者でなく、フリーなライセンスに対しての関係者の同意を得ることが難しいことが、非商用利用ライセンスを選択する理由のひとつです。

スポーツ部門はウィキペディアのコンテンツの利用にもっとも意欲的と見えます。そしてまた自身のコミュニティを形成することにも意欲的です。スポーツ部門ではマイナーなスポーツのコンテンツをもっと持ちたいとしており、こうしたスポーツのファンがウィキによってコンテンツを増やせるようにすることで、コスト的にもっと効率よく、マイナースポーツに関するコンテンツを増やしていく方法を知ろうとしています。

『英国人の戦争』のウェブサイトは編集のドアを閉じようとしています。このプロジェクトが終了したときに、このサイトについての計画がどのようなものになるかについて、議論を行いました。このサイトで提供する「ストーリー」の寄稿者は、コンテンツを BBC が任意のライセンスでリリースすることを許諾するという条項に同意してはいますが、GFDLによってリリースし、不適切な仕方でコンテンツを使わせる潜在的な可能性を含めることは、投稿者のコミュニティにとって受け容れがたいであろうと思われました。代替案として、既存の「ストーリー」を静的に保つ一方、寄稿者はサイトの構築を続けることができ、メタ情報と事実関係の情報を付け加えられるようにすることなどが提案されています。

カレンダー

詳しくはカレンダーをご覧下さい。

ウィキをとりまくできごとをご紹介します。この先、もっともエキサイティングなイベントは、ウィキメディアの最初の国際的イベント、ウィキマニアです。ウィキマニアでは学術的な発表と数百人のウィキメディアンの交流が行われます。何がこれから起こるのか、どんなことが待っているのか、まだ分かりません。 どうぞ、お楽しみに。

すでに行われたイベント

9月 Aoineko 日本広告主協会からウィキペディアへの賞を受け取る

ウィキペディアが100万記事を達成
国連でのプレゼンテーション

10月 ドイツ語ウィキペディアCD 4万枚が配布される

10月12日、ベルリナックス・カンファレンス

11月 11月27日-29日 : ロッテルダム・シンポジウム
12月 12月12日-13日 : ニューヨーク OSI (オープン・ソサエティ協会)年次理事会、会談

12月27日-29日 : ベルリン 21C3とオフラインミーティング


オーストラリアの夕日、スウィフツ・クリークの近くにて
オーストラリアの夕日、スウィフツ・クリークの近くにて
これからの予定
  • 2005年1月8-11日 : イスラエル、エルサレム。GuruNet での講演 [JW]
  • 2月9日 : アメリカ、カリフォルニア州パロ・アルト、スタンフォード大での講演 [JW]
  • 2月26-27日 : ベルギー、ブリュッセル。FOSDEM カンファレンス、ウィキペディアも出展。 [JW, ウィキペディアとして参加]
  • 3月5-6日 : ドイツ、ケムニッツ。 LinuxTage カンファレンス [ウィキペディアとして参加]
  • 3月10-16日 : ドイツ、ハノーヴァー。 CeBIT カンファレンス
  • 3月11-14日 : ドイツ、レーラッハ。 IT/Linux デー 2005 [ウィキペディアとして参加を予定]
  • 3月14-17日 : アメリカ、カリフォルニア州サンディエゴ。 eテック・カンファレンス [JW]
  • 3月15-18日 : ドイツ、デュッセルドルフ。図書館員会議 2005年 (Bibliothekartag 2005)
  • 3月17-20日 : ドイツ、ライプツィヒ。2005年ライプツィヒ書籍見本市 [ウィキペディアとして参加]
  • 3月18-20日 : スペイン、バルセロナ。CCC カンファレンス、懇親会
  • 3月21-26日 : インド、ニューデリー (Doors of Perception) カンファレンス [JW]
  • 4月14日-17日 : ヘルシンキ、ピクセル・アッキー2005 [Anthere]
  • 4月18-21日 : カリフォルニア、サンタ・クララ (MySQL) [JW]
  • 4月27-5月1日 : スイス、ジュネーヴ。報道の自由国際懇話会。
  • 6月2日 : ドイツ、ハンブルク。ドイツ・トレンド・デー 2005 [JW]
  • 6月22-25日 : ドイツ、カールスルーエ。LinusTag [ウィキペディアとして参加を検討中]
  • 6月27日 : アメリカ、イリノイ州シカゴ。全米図書館協会カンファレンス [JW, ウィキペディアとして参加を検討中]
そして未来へ
  • 2005年8月5-8日 : ウィキマニア、ドイツ、フランクフルト。 また創設者ジミー・ウェールズ[JW]の誕生日でもあります ;-)

 

道程
The road ahead -道程
The road ahead -道程

本号の原稿は2004年末に投稿されたものです。発刊が遅れたことをお詫び申し上げます。次号のニュースレターは4月に発行される予定です。新しい情報を得るためには、どうぞメタウィキのニュースレターのページにご留意ください。あるいはメールでニュースレターの最新号を受け取るためにご登録ください。春に出る次号をご期待ください。プロジェクトでの優れた活動を続け、提案をお寄せください。

人類をひとつの共同体に織り込むことは均一な共同体を作り出すことを意味しない。むしろ逆を意味するのである。理解ある雰囲気の中で際立った質を歓迎し十分に活用すること……すべてがひとつの型におさまる共同体、一揃いのおもちゃの兵隊のような共同体は、未来のものであるというよりは、過去のものである。

-H・G・ウェルズ

 

<< 2 ^